ベニンホフと奉仕園の足跡を辿って2023

10月29日(日)に奉仕園主催「ベニンホフと奉仕園の足跡を辿って2023」を実施しました。

今回の企画は奉仕園の創設者であるH.B.ベニンホフ博士(1874-1949)が来日してからの住居と活動場所の東京学院(現関東学院)と友愛学舎の跡地を巡るツアーです。
ツアーの準備段階から現友愛学舎生にかかわってもらい、ベニンホフ博士や友愛学舎について調べてもらいました。当日は、舎生がつくったリーフレットを配布し舎生によるガイドを中心に築地 30 番地、雑司ヶ谷町ベニンホフ旧住居、大隈庭園と早稲田大学周辺、鶴巻町友愛学舎、 東京学院、 弁天町友愛学舎、諏訪町奉仕園の跡地と現奉仕園を辿りました。

ここで基礎情報として。
ベニンホフ博士は1907年に来日されています。博士は日本宣教の前にビルマ(ミャンマー)でも宣教活動をされており、日本はアジア宣教の第二の地でした。
当初築地30番地に住居をかまえます。
ベニンホフ博士が来日したころの築地は居留地制度は廃止されていたものの、そのなごりから外国人が多く住む地域でした。そこで現在の友愛学舎の原点ともいえる3Lクラブをスタートさせました。博士の宣教も当時のほかの宣教師と同じように築地からはじまったのでした。

そこから当時の雑司ヶ谷町(現目白台)に移り、YMCAや東京学院、早稲田大学との関係を育みます。その後、東京学院、弁天町友愛(現存しない)と住居を変えながら、土地を購入し建物をつくり、友愛学舎やスコットホールを中心とする活動の基礎をかためていきました。
最終的には現奉仕園にあった宣教師館に住んでいます。当時あった建物はほとんど取り壊されていて、残されているものはいまも奉仕園のシンボルとして愛されているスコットホールのみです。

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 当日は11時から早稲田教会で創立記念礼拝が行われました。古賀牧師による説教も「ベニンホフ精神」と題され、ベニンホフ博士の働きをわかりやすく説明していただきました。

13時からマイクロバスで出発。友愛学舎やキリスト教学生会OB・OG、早稲田教会の教会員、奉仕園スタッフなどさまざまな観点からベニンホフ博士に興味をもたられている26名でした。

①築地 30 番地
ベニンホフ博士が最初に住んだ場所。当時は居留地制度のなごりで外国人が多く住んでいました。近くのカトリック築地教会も見学

②雑司ヶ谷町ベニンホフ旧住居
今回新たに行った第二の住居。弁天町友愛や東京学院にも行きやすい距離にあります

③大隈庭園と早稲田大学周辺
ベニンホフ博士も訪れている旧大隈邸の庭園。友愛学舎創立1周年記念もここで行われ、ベニンホフ博士と大隈重信が映った写真も残されています。それにならって参加メンバーもここで集合写真

④鶴巻町友愛学舎
1908年に東京YMCA第一寄宿舎の廃止反対を受け、安部磯雄を通して友愛学舎がスタート。奉仕園では創立日と定めています

④東京学院
アメリカ北部バプテストが設立した男子校。ベニンホフ博士は第3代目の学院長

⑤弁天町友愛学舎
新たに土地を購入し、友愛学舎と宣教師館を建築

⑥諏訪町奉仕園
1942年に早大と日本バプテスト伝道団との間に土地売却の契約が成立したため、早大から移動先として提供されました

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日米関係の悪化から1941年に帰国するまで約32年間の活動をベニンホフ博士が振り返った文章が残されています。

「早稲田の学生と奉仕園での私の三十二年間の生活は永遠の中に過ぎて行く。然し神は録されるだろう。而して学生自身が私の生活の記録なのである。私は舎生達のハートとメモリーの宮以外には他に記念を求めようとは思わない」

       --「早稲田奉仕園」第七三号(1940年7月最終号)より

 ベニンホフ博士を巡るこのツアーに今年で115年目を迎えている友愛学舎の舎生が主体的にかかわってくれたことに大きな意味があるように感じました。

 

ベニンホフ博士のつくった友愛学舎はいまの舎生達にどんなメモリーを残してくれるのかを楽しみにしたいと思います。

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