6/15(土)、朝から降りしきる雨の中、蔵前駅から徒歩数分の浅草聖ヨハネ教会に集まりました。前日の予報通り当日は大雨だったため参加者もちゃんと集まるか心配でしたが、急な欠席者もなく無事に開始することができました。参加者はスタッフ含め24名、みなさんこの日の学びを楽しみにしていたようです。この日のスケジュールは10:00から屋内で事前学習、昼食後は実際に16:00まで浅草の町を歩きました。講師の水野松男さんは、NCC(日本キリスト教協議会)部落差別問題委員会や公益社団法人東京部落解放研究所、部落解放同盟東京都連合会にいらっしゃり、長年研究を続けてきた方です。
今回のSTUDY HALLのタイトルにも入っている「弾左衛門(だんざえもん)」は、戦国~江戸時代に「かわた(皮田)」や「ちょうり(長吏)」と呼ばれていた皮革生産の職人集団の頭の役名で、本名は弾直樹(だんなおき)という人物でした。初代弾左衛門が徳川家康に皮役として1590年に取り立てられてからは、幕末までに13代続きました。皮役の職人頭として関八州などの長吏小頭を統括し、1635年には幕府の囚獄御用も引き受けています。「かわた」や「ちょうり」は公的に領主から皮革の上納、掃除、牢番、行刑の仕事を与えられ、「さるかい(猿飼)」、「ひにん(非人)」、「ごうみね(乞胸)」を統治しました。弾左衛門の担った皮役は幕府に公認され、配下の長吏の革生産は弾左衛門によって公認されていたことで、彼らの生活や職が安定的に保たれていたといいます。
実際に、役所でもあった弾左衛門の屋敷は現在高等学校になっており、明治時代は彼の起業した革靴工場だったともいいます。その他にも、弾左衛門家のお墓がある寺や、部落差別を象徴する町村合併による神社合祀の際の差別事件の場となった神社、そして非人供養塔や観臓記念碑のある回向院および延命寺(小塚刑場跡)などにも訪れ、フィールドワークを行いました。皮革産業資料館では、江戸時代から現代にかけて、そして日本だけではなく世界各国からの革製品――工芸品や、鞄、靴、ボールなど――が展示されており、いかに私たちの生活と皮革生産者の仕事や技術が身近に結びついているのかということを実感させられました。
水野さんは、もちろん昔の部落差別問題だけではなく現在の課題についても触れられていました。1969年には部落解放運動の成果もあり、同和対策事業特別措置法という国や自治体が同和対策事業を実施するための法律が制定されましたが、2002年に失効しています。また、1975年には数々の企業が就職差別の意図で『部落地名総鑑』を秘密裏に売買していたという事件が起こり、国会でもその問題が取り上げられました。厚生労働省では、部落問題の正しい理解・認識の徹底、公正な採用選考を行うために1977年から100人以上の企業に対し「企業内同和問題研修推進員」の設置を推奨してきました。1997年からは「公正採用選考人権啓発推進員」と名称を変更し、都内では50人以上の企業など約3万4500社の企業に推進員が設置されています。近年に入ってからも被差別部落の地名がインターネット上で公開されるなどの差別が問題となっています。このような背景を踏まえたときに、2016年に制定された部落差別解消推進法の役割が問われていると感じました。
参加してくれた学生からは「いろいろな職業に対し、差別的な心がなく、労働者の工夫や苦労などに、感謝の気持ちと理解の気持ちを持つべきだと、ひとりでもより多くの人々に伝えたい。そうすることにより、我々の生活を支えてくれたいろいろな職業の労働者たちがより気持ちよく、差別のない社会環境で自分の力を発揮できると思う」という声がありました。また、もともと部落差別問題に関心を持っていて参加したという学生は、今回新しい視点を得られたといいます。「今日、私たちの暮らしの中には部落出身者の技術や職につながるたくさんの物があるということを水野さんはおっしゃっていました。野球のグローブや手づくりの靴など、私たちが生活の中で楽しんでいるものが、部落出身者の歴史とアイデンティティの一部であることを知れたことはとても新鮮でした」(一部抜粋・翻訳)との感想を寄せてくれました。