12/15(土)13:00、参加者30名はJR蕨駅に集合し、2手に分かれて芝園団地に向かいました。昭和の面影を残す駅前のロータリーから、団地方面に歩くと中国の地方料理店や食材店、ハラル料理や食材店が増え、徐々に外国人集住地域の様子が見え始めてきます。
芝園団地はこの20年間で外国人住民が200人から10倍以上の2600人に増え、2015年11月にはついに住民4500人の半数以上を占めるようになりました。その大半を占めるのは中国人、都心のIT企業に勤務する30代の家族が多く、子どもの世話のために呼び寄せた親世代の同居も多いといいます。しかも2014年のアンケート結果では、3分の1が1年以内の居住者で、5年以上居住するのが15%に過ぎないという状況だったそうです。
自治会事務局長の岡﨑広樹さんは、生活習慣の違いによる騒音、ゴミの分別などに、UR都市機構に通訳の配置を要望し、徐々に問題を解決してきました。その一方で依然として日本人と中国人との交わりはなく、埋めらない溝を仲介する役割として学生ボランティア団体「芝園かけはしプロジェクト」が結成されました。かけはしプロジェクトの活動主体は、都内近郊の大学生35名。住民同士のコミュニケーションの場を作るよう「多文化交流クラブ」を定期的に開催しているといいます。芝園団地が特徴的な点は、「開かれた自治会構想」の元、外部団体に積極的に働きかけ、問題を自治会内にとどめずに解決しようと試みていることだと思います。
近い将来日本各地で同じような状況が起こるだろうとされている芝園団地に住み、日々多文化状況に接している岡﨑さんは、こう問題提起をします。「そもそも人間関係が希薄な現代の日本において、「共生」は必要ですか?」と。日本人もつながりを求めない社会で、中国人に求めることができるのでしょうか?隣近所でも「共生」するのは難しい日本社会、さらに近未来の日本を象徴する芝園団地で、岡﨑さん、圓山さんとも、今も試行錯誤の連続といいます。「共生」が互いに協力し合える関係であると定義するならば、われわれ日本人の側にも大きな問題が潜んでいるように思えました。
講義の後、団地内にある差別的落書きから日中友好のシンボルに作り替えたテーブルや、中国人向けの店が並ぶ商業スペース、24時間営業の保育施設などをまわって見学しました。